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「若者組」から「青年団」へ
江戸時代には日本各地に存在した若者集団の「若者組」や「若連中」は地域の警護や消防、祭りや冠婚葬祭といった自治の一端を担っていました。明治になると行政システムや暮らしの近代化に伴い、その名称を「青年団」や「青年会」に改め、その役割も近代的なものへと変化していきました。
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青年団員による明治神宮の造営奉仕が始まる
11915年に始まった明治神宮の造営は、人手不足や財政難によって遅れていました。当時の明治神宮造営局総務課長だった田澤義鋪(後の日本青年館第5代理事長)が全国の青年団の力を結集しようと発案し、1919年からは青年団の若者たちによる造営奉仕が始まります。全国209の青年団から延べ11万人の青年団員が神宮外苑・内苑の造営奉仕に携りました。
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青年団の功績をたたえ令旨を賜る
21920年11月1日に明治神宮が完成し鎮座祭が行われるにあたり、全国から700名の青年団の代表が集まりました。その際に高輪御所に招かれ、青年団の功績をたたえ皇太子殿下(後の昭和天皇)から令旨(りょうじ)を下賜されました。
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財団法人日本青年館が設立
令旨を拝受したことを契機に、全国の青年団活動の拠点をつくる機運が高まり、1921年9月2日に内務省および文部省から、財団法人日本青年館の設立が認可されました。そしていよいよ建物の建設へと進んでいきます。
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初代日本青年館が開館
3 4全国の青年団では一人1円募金を行い、当時の建設費を超える200万円が集まりました。建設中の1923年には関東大震災に見舞われましたが大きな損傷もなく、1925年10月26日に初代日本青年館が開館しました。 地上4階地下1階のモダンな建物は、ホテル、ホール、会議室などを備えた都内有数の総合施設で、多くの若者たちが集う100年の歴史がスタートしました。
開館記念行事としてホールで行われた「郷土舞踊と民謡の会」には、柳田國男ら研究者が選定した8つの民俗芸能が披露され、その後も戦前・戦後の一時期を除き、現在まで「全国民俗芸能大会」として受け継がれています。
また、2000人を収容したホールでは、新交響楽団(後のNHK交響楽団)をはじめ多くのオーケストラや音楽家が演奏会を開き、1926年にモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」が初演されるなど多くの名曲が日本青年館ホールで初めて演奏されました。その他、演劇や講演など多様な催事が開かれ、文化の殿堂としての名声を得ることになります。
その年の4月には青年団の全国組織「大日本連合青年団」も結成されました。 -
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終戦、GHQによる接収
5昭和に入ると国の戦時体制強化に伴い若者向けの講習会や出版などの活動も軍事色を強め、日本青年館も戦時体制に組み込まれるという苦難の時期を迎えます。
また、敗戦から1か月後の1945年9月14日、日本青年館は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に突如接収され7年半にわたり米軍宿舎となります。1953年2月の接収解除とともに急遽大規模な修繕を行い、同年4月からホテルやホールにお客様をお迎えし新たなスタートを切ります。 -
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青年団の全国組織・日本青年団協議会が結成
6終戦後、戦地や徴用先から故郷に戻った若者たちは復興のために青年団を続々と再建し、民主主義という新たな価値観を学び活動に生かしていきます。そして1951年5月、三笠宮殿下をお迎えして戦後の新生青年団の全国組織「日本青年団協議会」を結成します。日本青年館はGHQによる接収状態のため、日本青年団協議会の事務所も青年館が事務所を置いていた明治神宮絵画館内に置かれました。
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若者によるスポーツと文化の祭典「全国青年大会」開催
7サンフランシスコ講和条約の発効を記念してスポーツと文化の総合大会として第1回全国青年大会を開催。開会式に出席した三笠宮殿下による「日本人が二度と武器をとって海外に出ることのないように」とのお言葉に若者たちは感銘を受けました。以来、今日まで平和の祭典として受け継がれています。
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初の東京オリンピックでプレスセンターに
8高度経済成長期になると日本国内で行われる国際的なスポーツ大会の拠点となることが増えていきます。中でも、1964年10月10~24日は初めて日本で開催された東京オリンピックのプレスセンターとなり、日本青年館から世界に向けて、オリンピアンの活躍が配信されました。
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山中湖・清渓の本館完成
9大蔵大臣や日銀総裁を務めた第3代日本青年館理事長の井上準之助氏ご遺族からの寄付により1933年7月23日に山梨県山中湖畔に清渓寮をオープン。1974年には3階建ての富士青少年センターとして建て替えられました。
1993年5月20日には全室洋室タイプの別館も新設され、現在も富士山に最も近い湖の山中湖畔で多くのお客様にご利用いただいています。 -
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二代目日本青年館 完成
10 11初代日本青年館の老朽化やお客様ニーズの多様化を受けて1973年に2代目日本青年館建設計画がスタート。全国の青年団による新館建設募金運動により総工費の1割近くとなる5億円もの募金が大変な努力によって集められ、それに呼応して各界各層からの寄付金も寄せられました。また、天皇皇后両陛下より建設事業奨励のお言葉とご下賜金も賜りました。計画スタートから6年の歳月を費やし、1979年2月1日、地上9階地下3階の二代目日本青年館が開館しました。
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日本で初の世界陸上競技選手権大会
近隣のスポーツイベントに伴うご利用が二代目日本青年館でも盛んでした。1991年8月23日~9月1日に国立競技場で開催された世界陸上でも大会関係者の宿泊先として活用されています。
また、全国の小中高校生の修学旅行宿舎としても親しまれ、二代目青年館が営業した36年の間に延べ22万人の生徒の皆さんにご利用いただきました。 -
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全国高等学校選抜オーケストラフェスタを開催
12開館以来、音楽をはじめとする“文化の殿堂”となってきた日本青年館ホールを会場に、新たな青少年活動支援の一環として、全国高等学校選抜オーケストラフェスタを1月8~9日に開催。10校700名から始まり、30年を経た現在は80校4000名近い生徒が参加する日本青年館主催の最大事業となっており、日本青年館ホールは高校オーケストラの聖地と言われています。
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東日本大震災の被災者受け入れ
2011年3月11日に発生した東日本大震災では震度5強を観測したものの建物への大きな被害はありませんでした。地震当日は250㎡ある中ホールに帰宅困難者を受入れ、毛布などを提供。震災直後には福島から一時避難してきた病院の入院患者の受け入れ先ともなり、1か月ほど透析患者の宿舎となりました。
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三代目日本青年館グランドオープン
13オリンピック・パラリンピックの誘致活動も熱を帯びる中、半世紀を経た旧国立競技場の立替計画に伴い隣接する日本青年館へ移転要請がありました。関係者による大議論の末、国家プロジェクトに協力して移転することを決定し、2015年4月に二代目青年館の取り壊しを開始。2017年7月16日に現在の場所に移動し三代目となる日本青年館が竣工、8月1日にグランドオープンしました。
ホールや事務所の上に客室を建設するなど最先端の技術を採用し、地上16階地下2階の建物に、ホテル、ホール、会議室、レストラン、バンケットなどを完備する複合施設となっています。 -
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全国まちづくり若者サミット開催
1421世紀に入りますます進行する地域の少子化や人口減少。一方で、ふるさと創生やまちづくりに取り組む若者たちの新たなグループも増え続ける中、青年団をはじめとする若者活動のプラットホームを目指して、2月に全国まちづくり若者サミットを初めて開催しました。高校生や大学生、社会人の多様な活動事例が集う場となっています。
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東京2020オリンピック・パラリンピックの配信拠点に
152020年に世界を襲ったコロナ感染拡大により1年延期された東京2020オリンピック・パラリンピックが、2021年7月23日~8月8日に新国立競技場を中心に無観客で開催されました。日本青年館にはNHKが取材や編集、配信の拠点を構え、各種競技の様子やオリンピアンの活躍を世界に伝え続けました。
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財団設立100周年記念事業 開催
16コロナ感染拡大による1年延期の末、2022年11⽉2〜3⽇に日本青年団協議会の結成70周年と合同で財団設⽴100周年記念事業を開催し、記念式典では700名を超える方々にご出席いただく中、秋篠宮皇嗣同妃両殿下をお迎えし、皇嗣殿下のお言葉を賜りました。ウィーンから招いたピアノデュオの記念コンサートなども開催し、参加された方々と100年の歴史を振り返りつつ、これからの100年に向けた決意を新たにしました。
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日本青年館 開館100周年 未来に向けて
1925年の初代日本青年館の開館以来、2度の建て替えを経て多くのお客様に支えられながら、若者に寄り添い、スポーツや文化の発展に取り組んできた100年。これからの100年も若者支援やスポーツ・文化の振興、地域活性化など公益事業によって社会に貢献し、より多くのお客様に愛されるホテル・ホールを目指して、さらなる進化に努めてまいります。


